皆様からBlogやメール、お手紙でお寄せ頂いたメッセージを紹介しています。
また、「ひょこむBlog」へのメッセージもご覧ください。
俺は一体あなたのことを、 なんて呼んでたんかなぁ、なんだかへんに思い出せないなぁ。 でも大切やったんは間違いないよな。 あったりまえに毎日あってたもんなぁ。 もっともっとわがままいいたかったけど、最後の見送りまで一緒にいさしてもらったから、 悲しいけど悔いはない?かなぁ。 弔辞も読ませてくれたし、演奏もさせてもらったからさ。 あの弔辞な、実はメモやったの、知ってるよね。 最初文章書き始めたらまとまんなくてなぁ、それで、あんなキーワードだけの紙四枚だったわけさ。 でもよかった、泣かずに全部勤めたったよー。 最後もちゃんとうちまで見送れたし。 帰りしに、ふっと貴方の部屋に上がって、 去年秋のアカトンボの頃二分だけを思い出して、直ぐ下りちゃったよ。 無事東京戻ったから安心してな。 あ、こっちにも2つばかし、記事を書かせてもらったから、よろしく。 http://kokoroneblog.cocolog-nifty.com/ ありがとうなぁ、ほんとに本当にありがとう!
英法くんへ 〜惜別の言葉〜 私にとって貴方は大きな大きな坊やでした。 初めて私の所へ稽古に来た時の事を今でも覚えています。箏のテクニックは素晴らしいのに、唄と三絃はカラッキシ!!でも少年らしい笑顔は本当に素敵でした。 貴方は私にとって本当に一から教えた秘蔵っ子でした。素直な性格故、何から何まで吸収してくれる可愛いい可愛いい弟子でした。そして、その笑顔と素直な性格、又豊かな音楽性、豊かな??風貌故、誰からも愛されるキャラに育ちました。 貴方の周りの人に支えられ、一杯一杯良い仕事をしてきましたね。それも私は感謝に堪えません。 何も自分の体の様に太く短く生きなくても・・・。でも、そんな運命だったから皆に愛されたのかもしれないと思うと、それも切ない。 今も思い出すのは、貴方の屈託のない笑顔、はにかんだ笑顔、大笑いしている時の顔。全部笑顔です。 天国でも極楽でも、その笑顔を忘れず、先に居らしている先輩方に可愛がってもらって下さい。一穂会の皆も決して貴方の事は忘れません。合掌。 芦垣 美穂
英法さんの思いで 突然の訃報に今でも信じられません。 でも事実として受け入れていかなければいけないのですね。 小学生時代からお付き合いが始まり、色々と楽しいことやお話し、ありがとう おいしい・おいしいと言って食べてくれた穴子寿司、特巻 ひまわりサロンの若者達と、同じ年頃なので、DVDを見ながら話し合いをしました。 自分の夢を英法さんに、載せていただき本当にありがとうございました。 私達を見守っていてください。 一杯、一杯夢をありがとーーーー 阪本光夫
利根さんへ 4年前、札幌のコンサートで初めて会った時、音色のすばらしさと凛とした演奏がとにかく印象に残っています。 舞台からおりれば、とにかく大きな体からは想像もつかないほどとにかくマメに動いて、私達の珍道中の面倒を本当に良く見てくれてましたね。 荷物をもったり、空港まで送ったり・・・とにかく大変だったでしょう?! また、今年3月の震災の時には「火を使わずに作れるレシピ」をFAXで送ってくれたり、お母様手作りの「くぎ煮」を送ってくれたりと、本当に親身になって助けてくれました。 ガスもなく調理ができない状況でありがたい贈り物でした。 仙台にも来年来てもらう予定だったのが叶わず、とにかく残念でなりませんが、仙台の地より利根さんのご冥福を心よりお祈りいたします。 利根さん、本当にありがとうございました。 仙台 Yより
利根くんへ 今年の3月の震災の時には、誰よりも真っ先に連絡をくれたね。 ライフラインが不通の中、復旧状況や励ましのメールは、とにかく助かったよ。 怖くて辛い状況の中、私の心中を察してくれたのか「本当に必要と思えば東京から向かいます」と言ってくれたのが、本当に本当にうれしかった。 あの言葉のおかげで、私は逃げ出さずに仙台で踏ん張る力に変える事ができました。 そしてあの時のお礼が言いたくて7月初めに遊びに行ったら、パンダを見に連れて行ってくれたり、家でミニコンサートを催してくれたり、屋上でBBQしたり・・・。とにかく盛りだくさんの企画を考えてくれてたよね。 震災以降、あんなに心から楽しめた日はなかったくらい、とにかく楽しかった!!! 利根くんも、そしてあの時集まってくれたみんなもとにかく温かくて、そしてとっても癒された楽しい想い出をプレゼントしてくれたと思ってます。 「今度は仙台に行くね」・・・あの時そう話してて今、こうして実現できなくなったのが本当に心残りだけど、こんなにも愛情深くて人との縁を大切にしていた利根くんの事はずっとずっと忘れません。 そして、「ありがとう」以上の「ありがとう」があなたに届きますように・・・。 仙台Mより愛を込めて
英くん あなたは今、どんな想いで眠っているでしょうか? 突然の別れに一番驚き、悔しかったのはあなた自身だったことでしょうね。 優しく人を包み込む様な何とも言えないあたたかい笑顔と、素直で純粋な人柄が大好きでした。 身体も大きかったけど、心も大きかったね。 そして、仏様の前でいつも自然に手を合わせる姿がとても印象に残っています。 しかし、その穏やかで癒しの風貌の陰に、情熱と向上心を秘め、日々努力を重ねていたのですね。 私たちの「希望の星」であったことが、あなたを苦しめていなかったでしょうか? その期待に応えようと頑張りすぎたのではないか・・・と思うと、胸が痛みます。 自分の意思で最期の瞬間は選択できません。無情であっても、それが運命と受け止めるしかないのでしょうね。 英君、たとえ短くてもあなたの人生は幸せだったのでしょうね。 あなたの葬儀で最後のお別れをした時、本当に多くの人たちに心から愛されていたんだなぁと、、私は心打たれる思いでした。 それはあなた自身のその人柄であり、愛情深く生きた証であり、生き方そのものだったのです。 そして素晴らしいことに、あなたの残した才能溢れる音色、歌声は、私たちの心に寄り添い生き続けるということです。 心優しい英君のこと、悲しみの淵にいる、ご両親、おじいちゃん、おばあちゃん、仲間のこと・・・心配でしょう。 残された家族や友人が心静かに日常に戻れるよう、見守ってあげてください。 英君、あなたが残してくれた「心の一音」はしっかりと届いていますよ。 何度でも聴きます。あなたと会話するつもりで・・・ ありがとう。本当にありがとう。 どうぞ安らかに眠ってください。
英君へ 突然の訃報、あっと驚く短い人生でしたね。 私達皆にどれだけ楽しみを作ってくれたでしょうか。 箏について余り知らなかった私達に、小中学生の箏の大会の優秀賞の盾を見せてくれた時、色白なハの字眉毛で丸い顔の英君と、おばあさんの嬉しそうな顔が目に浮かびます。 おじいさん、おばあさん、両親、家族が一丸となって応援し、英君が希望の東京芸大に入学した時、卒業した時の家族の顔が思い出されます。 相生で同期生"箏七星"としてコンサートを開催し、大勢の人の心が豊かになったと思います。 賢順賞を頂き、たつの赤とんぼホールでの公演はそれはそれは素晴しいものでした。皆んな感動です。 パイレーツ(レストラン)でのコンサートを快く引き受けて頂き、頭が下がる思いでした。 亡くなった事を知らず、『本当なの?』と電話がしばしば。 『あの時聴いていて良かった』 『今から出る相生の有名人なのに』 等々、惜しい人が亡くなったと私に話してくれます。 急いで天国に行ってしまった英君 皆んなを見守って下さい。 『ありがとう』と一言お礼をいいたいです。 大前
利根くんへ 久しぶり。 利根くんに対して、これが最初で最後の手紙になろうことも、また、7月31日以来、やっとメッセージを書けるまで気持ちの整理が少しできたことも。 だから、今こうやって、メッセージを書いています。 彼と私は、相生のテレジア幼稚園からの友人です。 私が、転勤族ということもあり、小学校の途中で相生を去り、各地を転々とした後、高校生入学より相生に戻ってきて、思春期を共に過ごしたことを覚えています。 高校生になってから、1週間に一度は遊んだり(BBQ、旅行等)、利根家にてキムチ鍋パーティーをし、そのまま泊まらせて頂き(利根くんのお母さん、お父さん いつもうるさくしてすいません)、濃い時間をすごしました。当時の悩みや夢を夜遅くまで語り、お互い夢に向かって邁進していたと思います。 高校3年間を二人の故郷相生ですごし、その後お互いの進むべき道へ進みました。 彼は、東京の大学へ、私は、山口の大学へ。 お互い、それぞれの場所で一生懸命生きながら、携帯で連絡をとっては近況を語り、いつのまにか長電話になっていたことを思い出します。大学の休みには、相生に帰り、必ず相生の大吉に飲みに行ってたよな。 めっちゃお酒が強かったよな。私は、いつも負けていたよ。そんな、4年間を大学にて過ごし、彼はそのまま琴のプロの道へ、私は、就職をしました。 ここからが激動の日々が続く。 25歳の時、私は会社をやめ、当時からの夢であった歌手になる為、上京をしました。 何も考えず、東京に飛び込んだ私は、住むとこさえなく、浅草の彼の家へ1ヶ月居候をさせてもらい、そのおかげで、今の自分があり、ここまでこれたと思う。昔からだが彼の存在が、非常に大きい。 彼が琴でどんどん賞をとり、知名度が上がっていき、忙しくなる中、私も歌手活動も順調であり、下北沢の居酒屋でお互いの状況を確認しつつ、下北沢の私の家で朝まで飲み明かしたことが、幾度となくありました。 相生という場所で生まれたこと。 テレジア幼稚園で一緒だったこと。 高校がおなじだったこと。 夢や悩みを相談しあったこと。 良きライバルだったこと。 親友だったこと。 上京した私を、温かくむかえてくれたこと。 最近太りすぎたといって、上野駅にあるフィットネスジムに通っていたこと。 築地にうまい店があると、朝5時に起きて、ご飯をたべにいったこと。 私が、代々木上原のカフェのイベントに出るときも、真っ先にみにきてくれたこと。 私が、CDを発売し、真っ先に買ってくれたこと。 浅草の家の屋上にあがり、墨田川の花火大会を見ながら、ゆうじもきて七輪で焼肉をしたこと。 琴に対して、誠実で人をひきつける音楽を奏でること。 2011年6月末には、浅草の家で餃子をつくり、飲み明かしたこと。 2011年7月中旬に、電話をし、私が車を買ったから、気分転換に温泉へいこうと話したこと。 早く行けばよかったな。ごめんな。 まだ思い出はたくさんありますが、このへんで。今までありがとう。一緒に過ごした時間はめっちゃ楽しかったで。 本当にまだ近くにいるようで、思い出しては悲しくなりますが、前を向いて彼の分まで歩いていきたいと思う。 安らかにお眠りください。 豆鞘 辰哉